奥の松酒造

 

奥の松酒造は享保元(1716)年の創業。社名は「奥州二本松」から奥と松を大切に命名されました。

代々当主である遊佐家は元々畠山家に奉公していた侍でその後、政宗に討たれたその後、江戸初期(1604年~)遊佐家は商人として、二本松藩主・丹羽光重公の下で菜種油屋を始めました。

享保元年(1716年)からは、油のほか、味噌・醤油、酒造業も計画しました。

江戸時代後期、以降油屋は分家に継承し、酒造・味噌・醤油の醸造業に徹し 「遊佐伊兵衛醸造」となり、明治から大正の頃には千石酒屋のスケールに成長し、二本松の経済発展にも注目しました。

大正末期から昭和初期の十六代目、十七代目の頃「油屋酒造店」に改名し、旨い吟醸酒の蔵元として名前をなしていきます。

太平洋戦争後は、復興の波に乗って企業混乱、組織変更などを繰り返し、 43年(1968年)に現在の本社を立ち上げ、会社名を奥の松酒造株式会社に改名しました。


製造を決める八千代蔵が建つ場所は、雪深い安達太良山の麓。 広大な塩沢の森の中に白亜の蔵があります。 安達太良の融雪水、氷点下


伝統の技と最新技術を融合させた蔵では、日本酒ではなく焼酎から甘口のリキュール、スパークリングまで80種類の豊富な商品を製造しています。